コンドルズ結成20周年・NHKホールへの道

Thanks! 20th Anniversary of CONDORS

隔月刊コンドルズ

2016年4月 ゲスト:安田美沙子さん
2016年2月 ゲスト:山賀博之さん
2015年12月 ゲスト:篠原ともえさん
2015年10月 ゲスト:長塚圭史さん

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今回の対談ゲストは、アニメ作品『王立宇宙軍 オネアミスの翼』や『新世紀エヴァンゲリオン』などで知られるガイナックスの代表取締役にして監督の山賀博之さん。実はコンドルズのファンであり、ワーグナーのオペラ『ラインの黄金』の演出を手がけた際には、なんとコンドルズに振付と出演も依頼しています。さらに本対談で、山賀さんとダンスの意外な繫がりも明らかに!

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近藤 山賀さんとは、アニメ好きなうちの勝山の紹介で初めて会ったんですよね。ガイナックスも昔、早稲田に会社があって。
山賀 8年くらい前かな。ライターの山下 卓さんに「1回観に行ったら絶対惚れるよ」と言われて、初めてコンドルズを観に行ったんですよ。その後、勝山さんに紹介されて、ジワジワと飲み会にも行くようになって。初期とほぼ同じメンバーで20年もやってるなんて、すごいよね。しかも演目的にも昔とあんまり変わってない。人形劇やったり、コントや影絵をやったりして、近藤さんのソロが出て来たら、そろそろ締め。で、最後は群舞っていう(笑)。
近藤 変わってませんね、それしか知らないのかっていうくらい(苦笑)。
山賀 そこがまたいいんです。若い時は若い時なりの“はっちゃけた”感じが面白かったけど、この間の『GIGANT』には“円熟味”みたいなものがあった。同じことをやってるだけに、年を経て何かこうギューッと凝縮された感じで。
近藤 もう若気の至りじゃないですからね(笑)。考えたら、昔からちゃんと練習したがる奴は今もそうだし、昔も今も適当な奴は適当だから、練習量も変わってない(笑)。メンバーの言い訳も一緒ですよ。某藤田とか、遅刻の時はいつも「宅急便がまだ来ないから、家を出られない」ですからね(笑)。

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近藤 そんな我々が、山賀さん演出のオペラ『ラインの黄金』に参加させてもらったのは、2012年の秋(11月23~25日/サンパール荒川大ホール)でしたよね。最初に聞いたときは「我々がオペラですか!?」ってびっくりしましたよ。
山賀 特にクラシックが大好きなわけじゃなかったんだけど、知り合いから、ワーグナーのオペラ『ラインの黄金』を演出しないかと言われたんですよ。それでいろいろ勉強したのに結局は予算がなくて、あまり稽古ができそうにないから、出演者に演技まで期待できない。でも人間の動きは欲しい……そうか、コンドルズだ! と。
近藤 よく繋げましたよね、そこのところ(笑)。僕がまず惹かれたのは、山賀さんのワーグナーへの尋常じゃないハマり具合でした。「なんで、そこまでワーグナーに?」っていうのが面白くて。
山賀 やると決めてからは、徹底的にワーグナーを勉強しようと思って、日本語で読める資料はすべて読みましたからね。それから自分で翻訳もできるようにドイツ語を習いに行って……全部で5年くらい費やしたかな。
近藤 すごい。ワーグナーのどこにそんなにハマったんですか?
山賀 人間のタイプが、自分と似てるんですよ。なんか結構マヌケで(笑)。だけど、すごく運は良い。借金取りに追われて国外に逃げるか!? っていう時に、バイエルンの王様に即位した王子から「子どもの頃からファンでした。あなたの借金を全部払ったうえで、劇場も建てます」っていう手紙が届くんですから。
ryohei近藤 稽古は大変でしたけど、面白かったですよね。「今ここ、あなたがぶたれているシーンですよ」って言わないとわからないくらい、演技に興味のない人もいたりして(笑)。しかもトリプルキャストで、突っ立ったままの人もいれば、過剰に動く人もいるから、もはや個性では片付けられない状態(笑)。面白かったなあ。みんな歌うことだけには命を懸けている感じで。
山賀 ワーグナーのオペラ自体は、日本では上演機会が少ないからね。出演経験者がないうえに、自分の職業的アイデンティティが“声楽家”にある人にとっては、オペラの楽曲は歌うけど、まさか芝居までさせられるとは! って感じだったんだろうね。

近藤 そんな中で、僕らも僕らなりに考えましたよ。泡とか風みたいな存在として、どう居たらいいのかなって。ただ、物語の設定があまりに壮大で……。
山賀 神話時代の話で、ト書きには、ラインの川底の切り立った崖を、ラインの乙女達に言い寄る小人のアルベリヒがよじ登ると、乙女達は歌いながら隣の岩山に飛び移る……みたいなことが書いてあるからね(笑)。でも僕は、ワーグナーが愛人への手紙に「実は僕は、絵を見て感動したことがない。絵を見ても何のことか全然わからない。絵が芸術だと思えないんだ」と書いているのを読んで、この人は徹底的に映像センスがないんだなと思ったんですよ。ト書きにいろいろ書いてはいるけど、それがどんな絵になるのか、たぶん書いた本人の頭には浮かんでいない。だったら、その“気分”だけを拾ってやればいいんだと。
近藤 なるほど。でも音楽はドラマチックで、すごく語ってますよね。光二郎たちと一生懸命ワーグナーを聴いたり、オペラが好きなうちの親父に話を聞いたりして、それがわかったのは面白かったなあ。あと、山賀さんがドイツ語の歌詞を訳した字幕も端的でわかりやすくて。あれは相当気合入ってましたよね。
山賀 ただ、僕がまだダンスにちゃんと踏み込んでいない時期だったから、振付に関しては、ほとんどフォローできなかった。風の流れのようにキレイなものとして存在してくれれば、あとはお任せ……という感じになっちゃって(苦笑)。
近藤 そのキレイな存在を、キレイな女の子達じゃなくてコンドルズに頼むところがすごいですよ(笑)。
山賀 いや、そこはオペラにキレイな女の子のバレエが必須だった時代に、初めてバレエを排除したワーグナーの作品だから。でも大変なりに、楽しかったですよ。外から来た人間として、いろんなことを勉強しようという個人的な最大目的は果たせたので。結論からいうと、アニメ作るのもオペラ作るのも何にも変わらなかったですね。だって実際、アニメーターも言うことなんて聞きゃしないですから(笑)。絵描いてりゃ嬉しいわけで、企画なんてどうでもいいと思っているフシがあって。

近藤 ハハハ。それで自分の会社に演出部を作ったわけですね。そういえばガイナックスは、福島にも会社を作りましたよね? そこで復興支援のイベントをやったりして。
山賀 今度、新潟にも作るんですよ。実は、業界がメジャー化して商売っ気なんか出して、マーケティング調査して効率よく商売するようになった結果、今の日本のアニメ業界の市場は、非常に狭くなっていて。「アニメはそんなに一生懸命見ないけど、あれ、面白いよね」って言ってくれる人にも目を向けて作るべきなのに、そういう最も可能性を秘めた周辺部を切り捨てて熱心なファン向けに作るから、そういうことになってしまった。ひたすらお得意さん向けにやっていくと、新しいお客さんが来なくなる現象ですね。顧客サービスに関わる最も嵌ってはいけない罠に陥ってる気がします。日本のアニメは世界中に広がっているのに、何とも言えない閉塞感があるんですよ。
近藤 なんかグサグサ胸に刺さりますよ。ダンスの世界もすごく狭くて、似たようなところがあるから。
山賀 ありがちなことなんでしょうね、どのジャンルにも。でも地方に目を向けると、まだ80年代のようなファンの方も残っているし、イベントをやるにしても気分がいいんですよね。なんかこう「この人たちのために何かを作りたい!」という純粋な気持ちが起きるというか。
近藤 そこも大きい意味では同じだな(笑)。
山賀 理想を言えば、今後は地方の拠点に、地元スタッフをもっと増やしたいと思っていて。東京に集まっている有能なアニメーターにも地方出身の人は多いから、地元でも出来る環境を作ることで、変わっていけばなと。
近藤 いやあ、新鮮ですね。僕もいろんな場所でワークショップをやってるんですけど、そこで何のためにそれをやって、どう繋げていけるのか、いつも暗中模索していて。そこで踊りを作っていく人を増やしたいのか? それとも単にお客さんを増やしたいのか? いろんなレベルの人がいるから、僕らが行って何のためになっているのか、よくわかんなくなる時もあるし。そもそも僕らは結構いい加減というか、何か面白いことやろうかっていうぐらいのところで作品を作り始めた集まりなんですよ。1回やったら、音響とか照明とか劇場の人達に「お前達のやってることは意外と面白いぞ」「次を決めようぜ」とか言われて、2回目の公演日だけ決まっちゃって、嬉しい反面どうしよう!? みたいな(笑)。
山賀 うちもそんな感じでしたよ。会社を作った頃、僕は大学生だったし。今もそうだけど、若い頃は特に“何か面白いことないかな?”って思うじゃない? 俺なんかは一人でいるとつまんなくなる人間だから、コイツおもしれえなと思った奴と飲みに行ったり、こんなことやろうと思う、じゃあ手伝うよ、みたいなことをやっているうちに、じゃあ、会社にしようかっていう流れになって。経営は、それぞれのことに詳しい人を集めりゃ何とかなるんですよ。人が集まってこその会社、companyですからね。
近藤 いい話だなあ。俄然、親近感が湧きます。

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山賀 僕もですよ。というのも自分の中では、アニメーターのこともダンサーのように見てるんです。彼らは鉛筆で描いてるんだけど、それぞれが自分なりの動きのイメージを持っていて、単なる爆発やグラスを取る仕草にも、その人独特のリズムとかセンスが出る。そこが面白いなと思っていて。
近藤 ああ、確かに、身体感覚として何か持ってるような気はします。僕はアニメおたくじゃないけど、エヴァンゲリオンの動きを見た時はびっくりしましたからね。固い素材のはずなのに、柔らかい有機物に見えて。
山賀 だからコンドルズに惹かれたのも、僕にとっては自然なことでしたね。“こうやったらカッコイイでしょ?”風じゃないのにカッコイイところも、自分の趣味と合致した。僕がアニメをやってるのも、大の大人が本気でやるようなことじゃないけど、でもホラ、アニメでこんなことをやったら、ちょっといいと思わない? みたいなことがやれるから。そこに仕事としての面白さを感じてるんです。
近藤 なるほど。
山賀 実は去年の5月頃から、僕もダンスを始めたんですよ。
近藤 ええーっ!
山賀 発端は、あるフェイスブック仲間の「自分はCGのアニメーターをやってきたのに踊れない。それって、もしかしたらダメなんじゃないか」というつぶやきで、そこから「でも今さらダンス教室には行けない」「モーションキャプチャーで付き合いのあるダンサーさんを先生に呼んだらどうだろう?」「誰か一緒にやりませんか?」「ハイ、やります!」という話になって。この業界の初心者が木曜の晩に10人くらい集まって、ダンス・スタジオを借りてるんです。
近藤 すごい! なんていい話だ!
山賀 最初は僕がダントツ最年長だったけど、今は40代が多いですね。みんなド素人だから、2時間のうち最初の1時間は完全に筋トレとストレッチ。最初はそれだけでゼーゼー言ってました。
近藤 いやあ、驚いた。そういえば、僕の知り合いの鞄職人の人も、工房に毎週ダンスの先生に来てもらって、何人かで体を動かすって言ってた。
山賀 いいですよ。自分の実感として、まず健康にいい。
近藤 確かに山賀さん、前より顔色いいですもんね。
山賀 いろいろ気付くことも多いです。たとえば、手を挙げる動作をする映像を見る時と、実際に手を挙げる時では、頭の中での処理がまったく違うんだなということが体感としてわかったりする。僕ら“映像系ダンス初心者”は視覚に頼りがちだから、ある程度振りを覚えてきたと思っても、目をつぶってやってみると全然踊れないんですよ。カウントとるのだけメチャメチャ正確な人もいるし、いろんな人がいて面白いですよ。

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近藤 そういう意味では、コンドルズのメンバーも偏りがありますね。拓朗は見てるだけであっという間に振りを覚えちゃうけど、それ以上何の発展もしないタイプだし、橋爪は振りを覚えるのにすごく時間が掛かるけど、本番では「お前よかったな」って言われるような見せ方をする。石渕さんなんて、ちゃんと振りを教えても、原形を留めないくらい違うものにしてきますからね。もはや一種の才能かもしれない。何を見てたんだ!? って思うくらい、元がなくなっちゃうんですよ。
ryohei山賀 ハハハ。まったくレベルは違うけど、俺も先生に「いいふうに無視してくれますね」って言われますよ。まったくそんなつもりはないのに(笑)。
近藤 僕は僕で、作る時と学ぶ時ではモードが違うから、たとえばコンドルズで振りを付ける日は、自分では一切覚えられない。それで別の日に改めて「お願いします、教えてください」ってメンバーに頼んで稽古するんですよ。その時は“学ぶモード”なので、できるだけフラットな状態で身体に取り込みます。
山賀 使う脳ミソの場所が違うんでしょうね。面白いなあ。
近藤 ダンスは山賀さんの作品づくりにも影響してくるんじゃないですか?
山賀 それは既にありますね。台本に「ここで男の子が手を振り回し、次第にダンスになる」とか、普通に書くようになってきましたから。自分の中で“踊る”ことへの境目がなくなってきたんでしょうね。
近藤 いいですねえ。僕らも逆にアニメとか描けるようにならないかな(笑)。それにしても、山賀さんは勉強熱心ですよね。気になったらとことんやる。
山賀 実は、実務より勉強のほうが好きかもしれない(笑)。何か新しいことを見つけたり、それがちょっと自分と関係を持って来たりする瞬間がものすごく楽しくて。
近藤 ダンスにもさらにハマるんだろうなあ。
山賀 とりあえず、木曜の晩には重要な打合せも入れないようにしてますよ。「木曜日の晩はダメだって言ったよね」って。
近藤 ハハハ。まさか、こんな話の展開になるとはなあ。コンドルズのメンバーも、ものすごく刺激を受けると思います。というか、これから木曜の晩になると気になっちゃうな。「山賀さん、今日も踊ってるのかな」って(笑)。

 

取材・構成・文/岡﨑 香


山賀博之/Hiroyuki Yamaga
1962年、新潟県出身。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)在学中に、同じ寮で庵野秀明と知り合い、アニメーションに興味を持つ。81年の日本SF大会のオープニングムービー制作を機に、自主制作アニメや映画に関わるようになり、84年に映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』制作のための企業という名目で株式会社ガイナックスを設立。87年に同映画で監督デビューを果たす。以降、監督や脚本などでアニメ作品を中心に多数の作品に携わる。2015年、福島県三春町に福島ガイナックスを設立、「空想とアートのミュージアム 福島さくら遊学舎」をオープンした。